今回はジブリレビューの番外編。関連書籍の書評。
ジブリのプロデューサー、鈴木敏夫がジブリの歴史について語った「風に吹かれて」。
これがジブリの裏側がたくさん書いてあってすごく面白い。
風に吹かれての感想
会社が宮崎駿に耐えられない
ジブリの監督である宮崎駿、高畑勲は、とてつもない才能を持つ天才だが、周りの普通の人間がついてこられないことが多いようだ。
ジブリが設立される前は、二人が映画をつくると会社を潰してしまうため、継続して作品を作ることができなかったらしい。
二人は確かにいいものをつくってきた。しかし、二人がいいものをつくったあとは、会社がダメになっちゃうと。
ナウシカをつくったトップクラフトという会社も、映画の完成後にスタッフがみんな辞めてしまって消滅したという。
そこで二人の映画をつくるために、鈴木敏夫がジブリを立ち上げた。
彼がいなければ、宮崎駿たちはまともに作品をつくれなかったということだ。
ジブリ作品の企画を考えているのは宮崎駿ではなかった
プロデューサーの仕事は映画の宣伝をしたり、お金を集めてくることだと思っていたが、実は全然違っていた。
作品の企画も鈴木敏夫が考えているのだという。
「もののけ姫」も「千と千尋の神隠し」も鈴木敏夫のアイデアで制作が開始されたそうだ。
宮崎駿は当時、毛虫が主人公の「毛虫のボロ」を企画していたが、それをボツにして「もののけ姫」の制作の開始が決定。
また老人と少女のラブストーリー「煙突描きのリン」の企画もボツにされて「千と千尋の神隠し」が制作された。
これには賛否両論で、鈴木敏夫が介入しすぎてジブリをダメにしたという声もある。
でも、良くも悪くも彼がいなければジブリ作品が生まれなかったというのは事実。
そもそも宮崎、高畑と一緒に仕事を続けられるというだけですごいことらしい。
それまでに宮崎、高畑と組んだプロデューサーの末路は悲惨だったのだという。
宮崎駿と高畑勲と組んだプロデューサーってみんな一本で終わってるんですよ。その後、そのプロデューサーってろくな末路じゃないんです。
しかし鈴木敏夫は宮崎駿の才能に潰されずに、逆に才能を食ってしまったという感じである。
富野監督ジブリを語る
ネット上で、ガンダムの富野由悠季がパートナーの重要性について語った記事がある。
宮崎駿は鈴木敏夫と組んだからアカデミー賞を取ることができた。
一人だったらカリオストロの城で終わっていただろう、と。
一番目指さなくちゃいけないのは、34~35までに、40になってもいいと思うけど、パートナーを見つけるべきだということです。
宮崎駿は1人だったらオスカーなんか絶対取れませんよ。個人的に知っているから言えるんですが。彼は鈴木敏夫と組んだからオスカーが取れた。
どう考えてもあの人、1人では何もできなかったんです。「ルパン三世」レベルでおしまいだったかもしれない。
どんなにすごい人でも、本当の力を発揮するには優れたパートナーが必要ということである。
鈴木敏夫の視点から見るジブリのストーリーも面白いので、ジブリに興味がある人におすすめ。
次回のジブリレビューは最高傑作「もののけ姫」。
ジブリレビューのまとめ
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