前回はファイトクラブのテーマについて説明した。
この映画のテーマは消費社会への批判である。
今回はそのベースとなった哲学者ボードリヤールの思想を解説したい。
ボードリヤールと記号消費社会
ファイトクラブで語られる消費社会への批判のベースにあるのは、哲学者ボードリヤールの思想。
その思想を知るためには、まず資本主義経済のシステムを理解する必要がある。
資本主義経済の基本は経済が回ることである。
経済が回るとは人と企業の間でお金が行き来すること。
労働者は企業から労働の対価として給与を受け取り、消費によって企業へお金を支払う。
生産→消費→生産→消費のサイクルを回すことで、人々の生活は豊かになっていった。
そして豊かになるにつれてモノは飽和し、生産しなければならないモノはなくなっていった。
しかし何かを生産しなければ経済が回らない。
資本主義経済は、豊かになると停滞してしまうというジレンマを抱えていたのだ。
そのため不要であっても、新商品を次々に生産し消費していくことが求められる。
そして現代は経済を回すだけのために、商品を作り消費していく「消費時代」となったのである。
でも不要なモノをどうやって売ればいいのだろうか。
その方法は、モノに「道具的価値」ではなく、ブランドなどの高級感や特別感という「イメージ(記号)」を付加することである。
あらゆるモノがこれ以上進化することができなくなったので、実体のない記号で購買意欲を創出して経済活動を回していくしかない。
毎年出る新製品、ブランドの洋服、高級レストラン、高級ホテル。
そんな実態のない記号を追いかけさせて、時間とお金を消費させているうちに人生を終わらせてしまう自己完結システム。それが記号消費社会である。
この記号消費社会からは誰も逃れることはできないとボードリヤールは説いたのだった。
ファイトクラブの主人公もまさにこのシステムに捕らわれてしまっている。
はたして私たちはどうだろうか・・?
ファイトクラブでは未解決な問題
我々は人生のほとんどの時間を労働に費やしている。
そこで得たお金を消費に使えば、資本主義経済を維持するためだけに生きていることになってしまう。
ファイトクラブは、このような記号消費社会を否定する映画である。
しかし否定はしても、逃れているわけではない。
タイラーダーデンは、消費社会を否定するために時間とお金を消費させられている。
それは結局「アンチブランド」というブランドを消費しているにすぎないのだ、というのがボードリヤールの考え方。
記号の消費を否定することすら、記号にして取り込んでしまうところが、記号消費社会の恐ろしいところである。
破壊や否定では問題は解決しない。
それでは我々はどう生きればよいのか。
1つのヒントは「金をつかわずに人生を楽しむスキル」にあるような気がする。
例えば、面白い本を十分に理解し楽しむためには、それなりの基礎知識や教養が必要とされる。
しかし消費社会が提供してくれる娯楽はお手軽で、努力は不要である。
だから人々は、お金さえ出せば誰でも簡単にできる「旅行」などの消費活動に、自分の人生の幸せを委ねてしまう。
でもそれは消費社会に取り込まれているだけである。
本来は物事を楽しむためには、それなりに苦労しなければならないのだ。
「いろいろな物事を楽しむために教養を身につける」
これがあるとないとでは、長い人生が大きく変わってくるのではないだろうか。
まとめ
学生時代は理解不能だったが、いろいろな人生経験を経て、なんとなくファイトクラブのテーマがわかるようになってきたようだ。
最近、医学の知識や手技が頭打ちになって、なんとなく「満たされない気持ち」を抱えて日々を過ごしていた。
不自由のない生活を送りながら、生きている充実感が得られないファイトクラブの主人公の姿は、自分にも重なるものがある。
かといって、社会の否定や破壊で解決する問題ではないだろう。
ファイトクラブを、日々の消費について考えるきっかけにしたい。
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