機動戦士ガンダムの元ネタになったSF小説がある。
それが「宇宙の戦士」である。
舞台は異星人の侵略を受けている未来の地球。
そんな中、恋人に誘われて深い考えもなく軍に入隊した主人公のジョニー・リコ。
彼の視点から人間と異星人との戦いが描かれる。
さらに宇宙の戦士には映画版があり、「スターシップ・トゥルーパーズ」という題名で1997年に公開されている。
原作、映画ともに評価は高い。
ところがこの2作品、筋書きは同じだがテーマは真逆なのである。
今回は小説版と映画版の違いから、政治思想について少しだけ考えてみる。
①小説版
小説版はガンダムの元ネタになったパワードスーツが有名である。
しかし実際はSF要素は控えめで、軍隊生活の描写が大部分を占める。
厳しい軍隊の訓練の中で主人公の成長を描く人間ドラマになっている。
さらに独特の世界観も特徴の一つ。
この世界は平等で人種差別はないが、選挙権を持つのは兵役を経験した者のみ。
つまり国家の防衛という義務と引き替えに、選挙権という権利が与えられるのである。
「権利は無償で与えられるものではなく義務が伴う」という作者ハインラインの思想が表れている。
またハインラインは右翼思想の持ち主で、戦争や軍国主義を肯定する作品になっている。
「教育には体罰が必要」とか「問題を解決できるのは暴力」とか眉をひそめたくなるような部分もある。
実際、彼の思想はファシズムにつながるとされ批判が多いようだ。
暴力、むきだしの力は、歴史におけるほかのどの要素にくらべても、より多くの事件を解決しているのだ。
しかし一概に間違った思想とは言えない部分もある。
現在社会は個人を重視しすぎて、権利ばかりを主張する風潮がまん延しているのも事実である。
人は一人では生きていけない。
家族への愛情、仲間との連帯、共同体への忠誠がなければ社会は崩壊していまう。
個人はあくまで組織の一部と考え、社会公共に尽くす意識も必要なのである。
保守とは軍国主義を賛美する人たちと思われているが、それは正確ではない。
過度な自由は抑制し、自分たちが属する共同体を大事にしようというのが保守の考え方である。
「何の義務も負わずに権利だけを享受して生きていたい」
そう思う自分にとっては耳が痛いところである。
②映画版
映画版もあらすじは原作に比較的忠実である。
(予算の都合でパワードスーツは出てこないが)
しかし監督のポール・バーホーベンは、ハインラインとは真逆の左翼思想の持ち主。
個人の自由を尊重し、ファシズムにつながる軍国主義や全体主義の危険性を訴える。
そんな監督が戦争肯定小説を映画化する場合、普通であれば戦争反対のメッセージを盛り込むはずである。
ところがこの映画には直接的な反戦のメッセージは一切出てこない。
作中では戦争が肯定され、徹底的にエンターテイメントに振り切ったSFアクション映画になっている。
特徴は人間が殺されまくる悪趣味なスプラッター描写。
戦争肯定を悪趣味に描くことによって、逆に軍国主義を皮肉った映画になっているのである。
(パワードスーツが出てこず、生身の兵士たちが無惨に殺されていくのも、馬鹿っぽく見せる演出として機能している)
これはかなり高度な原作改変と言える。
何も考えずに見てもアクション映画として楽しめるが、そのあたりまで理解できるとまた違った楽しみ方ができるようになる。
(その裏の意図を読み取れない人が多く、公開当時は当時はナチズム礼賛映画と酷評されたそう)
道徳心を掲げるしか能がないつまらないリベラルな人たちは、この監督を見習ってほしいところである。
まあ監督が原作には興味がなく、モンスター映画を撮りたかっただけという説もあるようだが。
まとめ
真逆の思想を持った作者が同じテーマをどう描くのか。
全体主義(保守)vs 個人主義(リベラル)
小説と映画を対比させてみると面白さが増すと思う。
ノンポリを気取るのもよいが、自分のスタンスが保守なのかリベラルなのかを考えてみるきっかけにもなるだろう。
(自分は何の義務も負わずに権利だけを享受したいのでリベラルである)
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