「患者を救うことが生きがい」なんて言ってる医者をたまに見かけるが、多少胡散臭く感じてしまう。
自分が研修医になって最初に思い知ったのは、必ずしも救える患者ばかりではないということだった。
でも医者の達成感が「患者を治すこと」にあるのだとすると、治療法があまりない病気を診る場合に、どうモチベーションを持ったらよいのか。
それを考える上で参考になるのが精神科医・春日武彦先生の「治らない時代の医療者心得帳」である。
まだ幼かった研修医のときにこの本に出会い、春日先生のファンになった。
治る病気と治らない病気
「治らない時代の医療者心得帳」の中に、治る病気と治らない病気についての話がある。
ちゃんと治る病気だったら「自分が善人になったような錯覚」を覚えられて「自惚れる」ことができるだろう。
しかし現実には治らない病気が大半である。
ちゃんと治る病気でしたら、自分が善人になったような錯覚を覚えられて気分がいいですよね。
オレの技量も満更ではない、と自惚れることもできるかもしれない。
しかしどんな名医が対処しようとも無理な病気はいくらでもあるわけです。
自分は春日先生のこのシニカルな言い回しが大好きだ。
皮膚科は慢性疾患が中心なので、治る病気はあまり多くない。
精神科医療の分野でも「はい、治りましたよ!」と言えるケースは稀らしい。
たとえば神経症の場合、病気であったほうが周囲から優しくしてもらえるため、患者は治りたくないとさえ思っているそうだ。
病気であったほうが周囲から注目されたり優しくしてもらえる。
したがって彼らは「治りたいけど、治りたくない」といった矛盾した心性に陥ります。
そういった人たちは「やっと治りました。先生のおかげです。」なんて言いません。いつの間にか通院してこなくなります。
治療の終結は患者がいつの間にかフェードアウトすること。
これでは治した達成感はないだろう。
精神科では「患者を救う」という概念が明確ではない。
たとえ一生懸命向き合ったとしても、その熱意や誠実さに見合った成果が期待できるとは限らないのである。
医者に必要なもの
そして精神科医療には多職種が関わり、治療において医者は絶対的な立場ではない。
精神科の仕事には親切オバサンとか癒し犬なんかのほうが、医者なんどよりよほど安らぎをもたらす場合があります。
でもそれでいいじゃないですか。患者さんが救われれば、結果オーライじゃないかとわたしは思います。
「しっかり話を聞く医者が良い医者だ」と言われるが、話を聞くだけなら医者じゃなくてもよい。
となると治す達成感どころか「医者=治療者」という根本的なところから揺らいでしまう。
それでも春日先生はこう言われる。
誰にでもできるようなことをしているのに、誰もが達成し得るわけではない結果を引き出すところに喜びがある。
患者さんの話に耳を傾けるなんて誰にでもできます。
しかし誰にでもできるようなことをしているのに誰もが達成し得るわけではない結果を引き出すところにこそ、精神科医の喜びがあると思いますね。
診断もはっきりしなければ治療も劇的に効くわけではない。でもそういう中に面白みを見出せるシニカルさが重要なんだと感じた。
「正義のヒーローよりも悪役の方が好き」みたいなちょっとひねくれた考え方。
世知辛い医療の世界で生きていくには、入れ込みすぎないで肩の力を抜くことも大事だと教えてくれる。
医療者にとっての長くハードな日々は、使命感や思いやり、人情や熱血だけでは支えていけない。
春日先生によると医師に必要なのは若干のシニカルさ。
「わかりやすい達成感はむしろ退屈に思えてしまう」らしい。
しかし「患者を救うことが生きがい」なんてヒロイズムに酔っているだけの人間よりずっとまともに感じてしまう。
治療法のない病気を診る際に参考になる考え方だと思う。
今後高齢化に伴い、治らない患者の数はますます増えてくるだろう。
これからの医者の仕事は「治す」ことから大きく変わってくるのだという。
つづく
>>治す医療が死なせる医療へ変わる !?【書評】「医者とはどういう職業か」
▼春日武彦先生から学んだことのまとめ▼
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