京大卒のニートという異色の経歴を持つPha氏。
彼の著書「ニートの歩き方」を興味本位で読んでみた。
どんな変わり者なんだろうか、と。
しかし本を読み進めていくと…
集団行動が苦手で協調性がなくて組織に所属するのがすごく苦手。
ん…
他人と長時間一緒にいると疲れる。
…これは…
会社や学校でそんなに親しくもない他人と一緒にいることで対人エネルギーを使い果たしてしまっていた。
まるで…自分のことのようじゃないか…。
今回はニートについて考えてみた。
ニートという生きかた
Pha氏は学校が嫌いだったそうだ。
学校なんか行かずに一人で本を読んでいたかった、と。
小さい頃から学校が嫌いだった。
学校なんて行かずにずっと部屋で一人で本でも読んでいたかった。
自分も同じようなものだった。毎日何時間も拘束されるのがキツかった。
毎日何時間もの間拘束されるのがキツかった。友達もいなかったので学校に行きたい理由はまったくなかった。
そして社会に出てもその違和感は消えなかったのだという。
彼がたどり着いた境地は「みんなが当たり前にできることが、できない人もいる」ということ。
ちゃんと会社に勤めて真面目に働いて結婚して幸せな家庭を作るのが当たり前。
そんな当たり前のことが全くできない人もいる。
「人間はちゃんと会社に勤めて真面目に働いて結婚して幸せな家庭を作るのが当たり前の生き方だ」というルールに適応できず辛い思いをしている。
人間にはそれぞれ適正がある。
学校や社会や労働に苦痛を感じている少数派の人にとっては、ルールに従わないで生きる方法もあるのではないか。
周りから変人だと思われることを気にせず、自分なりの独自の生き方を切り開く。
そこでPha氏は一般的な生き方をあきらめた。
シェアハウスで暮らし、定職にはつかずブログやサイトを作ってわずかにお金を得る生活を始めたそうだ。
ルールに従わないで生きる方法もあるのではないか。
世間で一般的なルールに従わなくても、なんとか死なずに生きて、たまに何か楽しいことがあればそれでいいんじゃないか。
これは当然、経済的にゆとりのある生き方ではない。
年収は80万。「なんとかギリギリ死なない程度」の生き方である。
しかし世間の一般的なルールにずっと居心地の悪さを感じていた自分にとって、目の覚めるような思いであった。
世間体なんてものを気にするのはやめて、ゆるく生きていけばいい。
いろいろなことを諦めると人生はわりと楽になる。
心に響く言葉である。
ニートの資質
でもニートの生活は、やることがなくて暇なのでは?という疑問が生じる。
Pha氏によるとニートになるためには資質が必要なのだという。
まず他人と一緒に共同作業をしたり、街に出て飲み会をするのが好きだったりする人はニートに向いていない。
一人で何かを作ったり没入したりするよりも、他人と一緒にいたり共同作業をしたりするのが好きな人にはニート生活は耐えられないかもしれない。
街に出て飲み会するのが好きな人はあんまりニートに向いてない。
共同作業も飲み会も嫌いな自分は完全にニート向きである。
またお金がないと楽しく過ごせない人もニートに向いていない。
この条件も自分はクリアしている。
地位財や海外旅行などが好きで、お金がないと楽しく過ごせない人もニートに向いていない。
昔から、まわりの人たちが熱中している車とか時計とかの地位財に全く興味が持てなかった。
海外旅行にも興味がなくて、休暇は海外に行くのが当然という風習にも違和感があった。
逆に「なんで休暇中に海外旅行に行かないのか?」と、まわりから不思議に思われていた。
ニートの才能とは「お金がなくても一人で時間を潰せる才能」なのだという。
本とネットとゲームとたっぷりの時間があれば、お金がなくても楽しく過ごせる能力。
もともとあまり物欲がないせいか、本と音楽とネットとゲームとたっぷりの時間があれば、お金がなくても楽しく過ごせる。
さらに一人でもくもくとブログを書いたりサイトを作ったりするが好きな人はニートに向いている。
会社で働くのは嫌だったけど一人でもくもくとブログを書いたりサイトを作ったりするのは向いているのかそこそこ楽しくやれる。
やはり自分はニートへの親和性が極めて高そうである。
人生100年時代は「自分が本当にやりたいことを見つける」ことが重要だと言われている。
それがよくわからずに悩んでいたが、もしかして自分がやりたいことって自由な時間を得て、一人で本を読んだり、もくもくとサイトを作ったりすることなのではないか。
「ニートの歩き方」を読んで、自分の潜在的な欲求みたいなものが顕在化した気がする。
毎日好きな時間まで寝ていたい
起きてから今日何をするか決めたい
このようなPha氏の願望は、自分にもピタリと当てはまるのである。
まとめ
なんだか情けないが、自分の欲求を深堀りしていくと「ニート」というものに行き当たるような気がしている。
これまでいくら医者としてのスキルを磨いても、論文を書いても、後輩の指導をしても、何か違和感を感じていた。
自分が欲しいのは、医者としての名誉とか、やりがいではなくて、一人の自由な時間なのではないか。
みんなの当たり前が、自分にとっては当たり前ではないのかもしれない。
しかし「なんとかギリギリ死なない程度の生き方」をする勇気はとても持てない。
そこで「経済的独立」というフレーズが重要になってくる。
働かずに生きていけるくらいの資産を持つということである。
ただし経済的独立を手に入れるのは容易ではない。
そのために必要な準備を少しずつ整えていければと思う。
コメント