前回は銀英伝の基礎知識について解説した。
今回は銀英伝のメインテーマである「独裁政治vs民主政治」について。
独裁政治と民主政治はどちらが優れているのか。
一般的なのは民主政治が優れているという考え方。
しかし本当にそうなのだろうか?
アムリッツァ会戦のエピソードから考えてみたい。
宇宙暦796年帝国領侵攻(アムリッツァ会戦)
戦いの背景と動向
ヤンの奇策によって、重要な拠点であるイゼルローン要塞の奪取に成功した自由惑星同盟。
この戦果に興奮し、さらなる戦果を求める同盟市民。
しかし度重なる戦争によって同盟の経済は疲弊している。
ここで帝国と講和条約を結び、経済を立て直すチャンスを得たのである。
ところが内閣は、社会システムの停滞や汚職の発覚により支持率を大きく下げていた。
しかも統一選挙が目前に迫っている。
そこで政府は票集めのために、帝国領本土への全面侵攻作戦を提案する。
軍部は当然作戦に反対。
しかし文民統制の自由惑星同盟では政府からの命令には従わざるを得ず、作戦は実行に移されてしまう。
この帝国領侵攻は、民主政治の問題点を浮き彫りにしたエピソードだった。
空前絶後の大規模作戦は予想通り自由惑星同盟の完敗に終わる。
同盟軍は戦力の8割を失って弱体化し、のちの同盟滅亡の原因の一つとなった。
大衆に迎合した扇動政治家が幅をきかせ、民主政治が腐敗する。
そして人の命がかかった戦争さえも選挙のための道具として利用される。
これは古代ギリシャの時代から繰り返されている衆愚政治の姿そのものである。
独裁政治 vs 民主政治
この戦いは「独裁政治vs民主政治」という銀英伝のメインテーマを浮き彫りにしている。
優れたリーダーによる独裁政治は民主政治に勝る場合があるのである。
実際に自由惑星同盟は失策を重ねたあげく、ラインハルト率いる銀河帝国に滅ぼされてしまう。
これを現実の世界情勢と対比させるとどうなるだろうか。
第二次世界大戦では民主政治の連合国が、独裁政治の枢軸国に勝利。
冷戦では民主政治のアメリカが、独裁政治のソ連に勝利。
これら結果から、現在は民主政治が最も優れていると思われがちである。
しかし、これまでの歴史は独裁政治と民主政治のシーソーゲームである。
→独裁政治→民主政治→独裁政治→民主政治→
腐敗した独裁政治を民衆が打倒し、民主政治が成立する。
しかしその後民主政治が腐敗し、民衆の支持のもと独裁政治が成立する。
歴史はその繰り返しなのだ。
今の世界もこのような大きな流れの中にあると言える。
昨今の中国の台頭や、コロナ対策での迅速な動きは一党独裁の強さを感じさせられる。
一方で民主主義の大国では扇動政治家が支持を集め、多くの人がウイルスの犠牲になってしまった。
民主政治の勝利は一時的なもの。
世の中は民主政治後退のステージに入りつつあるのかもしれない。
独裁政治は正しいか?
とはいえ独裁政治を本当に肯定してもよいのだろうか。
この問いに対してヤン・ウェンリーは答えを提示している。
独裁政治にも優れた点はあるが、人類が独裁政治で統一されるのは避けるべきである、と。
専制政治自体は絶対悪じゃない。ただの政治の一形態にすぎないのさ。
政治改革をドラスティックに進められるのは民主政より専制のほうなんだ。
だが、専制政治によって人類が統一されるのは避けるべきだと思う。
(33話より)
その理由は常に名君が輩出されるとは限らないからである。
独裁政治には常に暴君出現の可能性が潜んでいる。
例えば、ローエングラム公にはその力量があるかもしれない。
だが、彼の子孫は? 彼の後継者は? 常に名君が輩出するとは限らない。
むしろ彼のような存在は何世紀に一人の奇跡のようなものだ。
そんな個人の資質に全てを賭けるような制度に全人類を委ねるわけにはいかないと思うのさ。
(33話より)
一方、民主政治は力を持った者を自制するシステムである。
そのため強いリーダーは生まれにくく政治変革は行いにくいが、暴君の出現を避けることができるのだ。
民主主義とは力を持った者の自制にこそ真髄があるからだ。
強者の自制を法律と機構によって制度化したのが民主主義なのだ。
(74話より)
独裁政治には0点から100点までの振れ幅がある。
一方の民主政治は常に40~70点くらいの安定感があるわけである。
まとめ
今回は銀英伝から政治について解説した。
民主政治と独裁政治のどちらかが正しく、どちらかが悪という二元論では分けられない。
しかし相対的には民主政治のほうが好ましいだろう、というのが結論である。
アムリッツァ会戦は、そんな考察もできる銀英伝の奥深さを感じさせられるエピソードである。
次回は軍事についての考察をする予定である。
銀河の歴史がまた1ページ・・。
つづく
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