前回の記事で「進撃の巨人」のパラディ島編についてまとめた。
今回は賛否両論のマーレ編についてまとめてみたい。
賛否両論の理由
マーレ編が賛否両論である理由は3つあると思う。
①カタルシスがない
進撃の巨人の魅力は圧倒的な絶望感と、それを打破したときのカタルシスだった。
しかしマーレ編にはカタルシスがない。
これは作者が意図的にやっていることである。
「善悪」とか「正義」といった言葉は、あまり使わないようにしています。
どちらが善い者、悪い者と決めつけない方向へストーリーの舵を切っていくつもりです
(マイポケット×進撃の巨人 作者インタビュー2013)
パラディ島編の敵は意思疎通ができない巨人で、勧善懲悪のストーリーだった。
しかしマーレ編の敵は人間。単純な勧善懲悪ではない構図になっている。
テーマとしては高度になったわけだが、そのぶん話が難しくなったため、賛否が分かれる結果となったのだろう。
②時系列がバラバラ
テーマが難しくなっただけではなく、ストーリー構成も複雑化したこともマーレ編がわかりにくい要因になっている。
まず時系列がバラバラになっていること。
パラディ島編が終わる22巻から、マーレ編が始まる23巻の間に3年間が経過。
その間の出来事が断片的に明かされるため、話の全体像がものすごくわかりにくい。
時系列
90話(22巻)→106話、107話、108話(26、27巻)→130話(32巻)→123話(31巻)→131話(33巻)→115話(29巻)→91話(23巻)
③勢力図が複雑
もう一つは勢力図が複雑すぎること。
メインの構図はパラディ島vsマーレなのだが、パラディ島の内部が4つの派閥に分かれている。
- パラディ島政権(ピクシス)
- 調査兵団(ハンジ、リヴァイ、アルミン)
- エレン派(エレン、フロック)
- ジーク派(ジーク、イェレナ)
それぞれの目的がわかりにくく、各派閥の対立関係も複雑化していて、話の流れがまったくわからない。
というわけで話の流れを追うだけで精一杯で、各キャラクターのドラマまで理解できなかったというのが実情である。
しかしそのぶん考察しがいがあるともいえる。
一見わかりにくいセリフに込められたマーレ編のドラマを読み解いてみたい。
①お前と同じだよ(25巻)
(進撃の巨人25巻より)
マーレ編の最初の関門は、再開したエレンとライナーの会話。
この会話の意味がまったくわからない上に、ここからストーリーが複雑化して、ついていけなくなってしまう。
何が「同じ」なのかが明らかにされるのはなんと32巻。
同じなのはエレンとライナーの境遇のことだった。
(進撃の巨人32巻より)
ライナー
- パラディ島の人間は悪魔だと思っていた
- 一緒に暮らして悪魔ではないことを知る
- それでも自分の目的のために殺戮を行う
エレン
- 壁の外の人間は悪いヤツだと思っていた
- 一緒に暮らして悪いヤツではないこと知る
- それでも自分の目的のために殺戮を行う
マーレ編のストーリーは、ライナーがやったことをエレンがなぞる展開になっているのである。
そしてエレンの虐殺によってパラディ島は救われたが、憎しみの連鎖を生む形の終結であった。
②悪魔なんていなかった(29巻)
(進撃の巨人29巻より)
エレンと対比されているのはライナーだけではない。
もう一人、ガビもエレンと対になるキャラクターである。
ライナーたちに母親を殺されたエレンと同じように、ガビはエレンによって友達を殺されてしまう。
その報復としてガビはサシャを殺害。
しかしその報復としてカヤに殺されそうになる。
- エレンによって友達が殺される
- ガビがエレンの仲間(サシャ)を殺す
- サシャの家族(カヤ)がガビを殺そうとする
憎しみの連鎖は続くかに思われたが、最終的にカヤとガビは和解。
ガビは「悪魔なんていなかった」と理解する。
パラディ島とマーレの間の憎しみの連鎖は止まらなかったが、ガビのまわりでは憎しみの連鎖は止まり、わずかな救いになっている。
③誇りに死ぬことはない(31巻)
(進撃の巨人31巻より)
悪い人間と割り切れるキャラがいないマーレ編の中で、唯一の悪役と言えるフロック。
しかし彼の境遇を考えると、やはり単純な悪人ではないということがわかる。
「誇りに死ぬことはない」というセリフは、かつてのエルヴィンのセリフと対になっている。
エルヴィン団長は獣の巨人を倒すため、フロックたちに特攻を命じた。
誇りのために死ね、と。
本来はそこで命を捨てたはずのフロックだったが、奇跡的に生還。
しかし彼は人生観を狂わされ、悪魔的な人間を求めるようになる。
つまりフロックはエルヴィンの犠牲者なのである。
(進撃の巨人21巻より)
パラディ島編ではエルヴィンの特攻は肯定的に描かれていたが、「誇りに死ぬことはない」のセリフはエルヴィンを否定するもの。
フロックの存在はエルヴィンに対するアンチテーゼになっている。
④調査兵団団長に求められる資質は(33巻)
(進撃の巨人33巻より)
作中でアルミンが語るリーダーの資質は「非情な判断ができること」。
エルヴィン団長の命を犠牲にして生き返ったアルミンは、エルヴィン以上の非情な作戦で窮地を救うと個人的には期待していた。
しかし作戦面での大きな活躍はなく物語は終了し肩透かしだった。
だが改めて読み直すとアルミンには別の役割が与えられていたことがわかった。
ハンジがアルミンに語った団長に求められる資質は「理解することを諦めない姿勢」。
つまりアルミンの役割は敵との対話だったのだ。
最終決戦でジークと話し合い和解したアルミン。それによって地ならしは停止し、人類は救われる。
エルヴィンの代わりではなく、エルヴィンとはまったく違ったアプローチでアルミンは人類を救った。
そこにマーレ編に込められたメッセージがあるような気がする。
⑤できない(34巻)
(進撃の巨人34巻より)
物語終盤にリヴァイが離脱し、その後リヴァイに代わってミカサが無双するのを個人的には期待していた。
しかしバトル面での大きな活躍はなく物語は終了し、肩透かしだった。
だが改めて読み直すと、ミカサには別の役割が与えられていた。
おそらくミカサのテーマはエレンからの自立。
人類の敵になってしまったエレンを殺すことができるのか。
この問いは何度も描かれるが、ミカサは決断できないでいた。
(進撃の巨人27巻より)
しかし最終局面。
「マフラーを捨てて欲しい」といったエレンに対して、ミカサははっきりと「できない」と拒絶し自らマフラーを巻く。
「言いなりになるのが愛」ではないことを理解したミカサは、エレンを殺すことで物語を決着させた。
倒錯した感はあるが、マーレ編ではミカサを通して「愛とはなにか」が描かれているのだと思う。
まとめ
全体の流れがわかりにくいので、個々のキャラクターのドラマが理解しにくいマーレ編。
しかし読み解いていくと、しっかりと描かれていることが分かる。
個人的にはパラディ島編のほうが好きだが、マーレ編にはマーレ編のよさがある。
理解できなかった人はもう一度読み直してはいかがだろうか。
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