世の中には治らない病気は多い。
医師が治せる患者は少ない。病気の診断がつく患者も思うほど多くはない。
(看護のための精神医学)
しかし我々の業界では、「治らない」と患者に言ってはならないとされている。
決して「治らない」と言ってはならない。そう言われると患者は他の医院か民間療法に走ってしまう。
(皮膚のトラブル解決法)
「治らない」と言われてショックを受けた患者のエピソードもよく目にする。
「残念だけど、この病気は一生治らない」と言われました。
その言葉にとてもショックを受け、その後に受けた説明は全く頭に入ってきませんでした。理解できない奇妙な病気になってしまったと思い、茫然として診察室を出ました。
それはたいがい、信頼できる医師と出会い病気を克服できた、、という美談として紹介される。
医師から「大丈夫、良くなりますよ」と言われたのですが、その言葉を心から信じることができました。
医師との関係性も以前とは変わり、信頼関係が築かれ、安心して治療に取り組めるようになりました。
確かに露骨に「治らない」と言わないことは重要である。
でも「患者に治らないと言わない」ことを美徳にしている人を見ると、そんな単純でもないだろとも感じてしまう。
今回は「治る」について考えてみる。
「治る」とはなにか?
そもそも「治る」とはどういう状態を言うのだろうか。
精神科医の春日武彦先生が著書の中で「治る」に関して考察されている。
治りますかといった質問に答えるのには、なかなか微妙なところがある。なぜなら「治る」という言葉はまことに幅が広いからである。
「治る」の一般的なイメージは風邪。つまり後遺症も残らず完全に病気以前の状態に戻るという意味での治癒である
多くの人が考えるところの「治る」は、風邪や肺炎が治るといったイメージに近いのではないか。つまり後遺症も残らず完全に病気以前の状態に戻るという意味での治癒である。
しかし実際はそんな風に治るキレイに病気は多くない。
そこで「治る」という言葉の幅を広げるという試みがなされる。
高血圧や糖尿病などの慢性疾患は風邪のように治ることはない。しかし薬を飲んでいれば問題はきたさない。
高血圧や糖尿病では、風邪のようにケロリと治るといったわけにはいかない。だが降圧剤やインスリンを使っていれば血圧や血糖値は正常に保たれ、そうなれば問題はきたさない。
症状をコンロトールして安定させるという点からは、高血圧や糖尿病も「治る」に相当するのではないか。
薬を服用するとか医者との縁が切れないといった意味では治ったうちに入らないのかもしれないけれど、状態をコントロールし安定させるといった点からは、広義の「治る」に相当するのではないか。
つまり厳密に言えば治らないけれど、症状をコントロールできることを「治る」の範疇に含めて納得してもらおうということである。
「治ります」の後ろめたさ
自分も高血圧や糖尿病を引き合いに出して説明することは多い。
しかしそれに対して胡散臭さや後ろめたさを感じることも事実である。
春日先生によると精神科では風邪のように治る疾患はほとんどないそうだ。
しかし患者は劇的な改善を期待している。
神経症や新型うつ病といったものは結構荷が重い。なかなか治らないケースが多い。
患者さんとしては、「とうとう治った!」という瞬間を期待している。でもそんなものを望むと、不満ばかりが募っていくことになります。
そんな人に対して、高血圧や糖尿病を引き合いに出しながら、なだめすかしながら付き合っていく。
春日先生はそれに対して、医師としての無力感を思い知らされて、心苦しくなるのだという。
そんな人をながめすかしつつ、悩みに耳を傾けたり簡単な助言をしたり、ときには薬を少なめに処方して付き合っていく。
わたしとしては気まずいし、医師としての無力感を思い知らされるようで心苦しくなってくるのです。
そんな感じかたが健全であるように思う。
まとめ
薬で症状をコントロールできるのも「治る」の範疇ですよ…というのは、患者に病気を受け入れてもらうための一種の方便である。
しかし「風邪」のように治せないことに対する罪悪感や後ろめたさがある。
「治らない」とは言ってはいないが、「治らない」ことを婉曲的に伝えているレトリックにすぎないのである。
そんな後ろめたさも一切なく「治らないと言ってはいけない」なんて自慢気に言う人に対しては違和感を持ってしまう。
決して「治らない」と言ってはならない。
(皮膚のトラブル解決法)
本当に大事なのは「治らない」と言わないことではなく、「治らない」ことをちゃんと伝えられるスキルなのではないか。
なかなかうまくいかないけど。
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