腹痛診療のバイブルとも言われる「ブラッシュアップ急性腹症」。
経験知が溢れた魅力的な教科書である。
この本の中に診断をつけることの問題点が書かれている。
問題とされている診断名は「胃腸炎」と「イレウス」の2つ。
今回は診断名について考えてみる。
胃腸炎とイレウス
まずは胃腸炎。
この病名はよくわからない腹痛に対して使われているそうだ。
よくわからない…というときの逃げの診断名として使われているのが正直なところではなかろうか?
そして胃腸炎という病名をつけることで安心してしまい、原因追求が甘くなってしまうことが問題視されている。
なまじ診断名をつけるから患者さんも医師も安心してしまうきらいがある。安心しているので次の一手が遅れるのだ。
わからないものは無理に診断名をつけないほうがいいとのことである。
わからないものはわからないとしてある程度不安を抱えたままにしておくほうがいい。
次にイレウス。こちらもよくわからない腹痛に対して用いられるとのこと。
いわゆる「診断のつかないよくわからない腹痛」に対して用いられていることが多い。
「わからない」というのも何だからなにか当てはまる適当な語はないか?というようなその場しのぎ的な行為のように思えてならない。
やはり無理に診断名をつけずに原因を追求することが重要と述べられている。
わからないなら、手を替え品を替え解明する努力をしようかな?とか、わかりそうな人に聞いてみようか?という発送も起きるが、なまじわかったような気になっていると「とりあえずこれでいいか」となってしまう。
以上のように、原因がわからないときは下手に診断名をつけるのではなく、「原因のわからない腹痛」としてフォローしていくのが正しい姿勢とのことだ。
同じような診断名が皮膚科にも存在する。
それは中毒疹である。
中毒疹とは何か?
中毒疹とは「何らかの原因による反応性の皮疹」の総称。
体外性あるいは体内性物質により誘発される反応性の皮疹の総称として中毒疹という名称が日本ではよく使われる。
これは、薬疹のほかウイルス、細菌、食物、その他の原因による急性発疹症のbasket diagnosisとも呼ぶべき概念である。
(あたらしい皮膚科)
要するによくわからない皮疹に対してつける病名ということである。
その意味で胃腸炎やイレウスと同じような概念と言える。
そして胃腸炎やイレウスと同じような問題点が指摘されている。
中毒疹という診断名をつけたことで満足してしまい、原因の追求がおろそかになるということである。
この診断名をつけたことで満足してしまい、原因の追究を怠ってしまったのでは意味がないことになる。
(皮膚科学体系)
そのため中毒疹のような曖昧な病名は使用するべきではなく、正しい原因を追求しなければならない、と言われることが多い。
反応性の皮疹であっても病態原因によりそれぞれ正確に診断されるべきものという考えが主流であり、中毒疹という名称は国際的にはほとんど用いられない。
(あたらしい皮膚科)
中毒疹という診断名を多用している限りは、皮膚科医としての診断能力の向上はあり得ない。
(MB Derma. 296: 7, 2020)
この考え方はごもっともである。
とはいえ必ずしも原因が判明するわけではない。
皮疹の原因が薬剤かウイルスか区別がつかない場合も多く、原因がまったくわからないことも稀ではない。
原因不明の場合も多く、また薬疹とウイルス性発疹症との鑑別もしばしば難しい。
(皮膚科学)
そんなとき、病名をつけずに原因を追求し続けるだけでよいのだろうか。
その辺りのことについて不明熱の診療を参考にして考えてみたい。
不明熱と中毒疹
内科医・國松淳和先生の「不明熱・不明炎症レジデントマニュアル」によると、不明熱を診る上での心構えは「この患者は不明熱である」と認識することにあるそうだ。
不明熱・不明炎症というのは、原因がよくわからなくて困っているというその「状況」のことを示している
今見ているものが不明熱・不明炎症だと認識することで、混沌とした状況が明瞭化する感覚を持てるようになること。これが診療の第一歩である。
よくわからない状況に対して「不明熱」という名前をつけることで、アプローチしやすくなる。
「不明なりの括り」をもっておくと、臨床では強みになる
混沌とした不明性の高い臨床状況において、いったん不明熱/不明炎症を認識することに立ち返る、というのは非常に有用である
診断をつけたことにはならないが、そう認識することにより「不明熱/不明炎症をきたす疾患から」考えることができる
同じようによくわからない皮疹に対して「中毒疹」という名前をつけることで、よりアプローチしやすくなるという側面がある気がする。
原因がわからない場合の対応
また「必ずしも原因がわかるわけではない」という点も重要である。
一般的に不明熱診療の目的は原因を解明することだと思われる。
しかし不明熱の中には、どれだけ調べても原因がわからないものが存在するようだ。
國松先生はそれを「不明熱中の不明熱」と呼んでいる。
検査のもれやアセスメント不良といったものは当然除かれて、複数の医療機関で濃厚に精査されてもどの疾患にも分類されないものがある。
筆者はこれを「不明熱中の不明熱」と呼んでいる。
つまり「いつまでも原因を追究し続ける姿勢」はどこかで軌道修正する必要があるということである。
- 病名が確定できないことを問題視しない。
- 原因の追究ではなく症状の緩和を目的とする。
そんなふうに意識を変える必要がある。
不明熱は病名が言えない状態であるといえる。
病名が確定できないことを問題視しない。
病名はわからないが病態はわかる。そう思うに至るプロセスが誠実なら、患者はその担当医の臨床判断を信用してくれるはずである。
また膠原病の診療でも同じようなことがあるそうだ。
膠原病診療のキモは「わからないことが当然」ということを認識していることなのだという。
なんで自信ありげにしているかというと、「よくわからないことが当然だ」ということがわかってるんです。
ここが行き止まりだっていうことが見えているので、そこからどうしてもしょうがないよねってことが、感覚として把握できていることが強みです。
重要なのは原因の追究ではなく治療である。
診断はしてなくても治療はできます
まとめ
原因がよく分からない場合。
「とりあえずの病名」はつけずに原因を追究し続けるのも重要だろう。
しかしアプローチしやすくするために病名をつけるのも一つの手と言える。
そして必ずしも原因がわかるわけではないということ。
どこかで原因の追究から、原因がわからなくても症状を緩和する方向へ軌道修正する必要がある。
その辺を意識しておくことも重要なのではないかと思う。
コメント