高畑勲監督の遺作となった「かぐや姫の物語」。
一部では大絶賛されている一方で、世間の評判は必ずしも良いとはいえないようだ。
ひどい…という感想も多い。
自分も観ていて、「凄いんだけど面白くはないな」という印象を持った。
しかし解説本を読んで初めて面白さがわかるのが高畑映画の特徴である。
反戦ではない「火垂るの墓」の本当のテーマとか。
「おもひでぽろぽろ」や「となりの山田くん」の映像的な取り組みとか。
【関連】高畑作品の秘密を語る「おもひでぽろぽろ」「となりの山田くん」
初見で面白さがわかる人は少ないだろう。
そこで今回、解説本を読破した上で「かぐや姫の物語」が面白くない理由と凄さについて考えてみた。
▼前回の記事▼
かぐや姫の物語がつまらない理由
「かぐや姫の物語」が面白くない理由。
それは観客に感情移入させないように作られているからである。
高畑監督は観客に感情移入させるように作られている娯楽映画を嫌っているそうだ。
そのためあえて淡々とした描き方をしているのだという。
映画は観客をその世界に巻き込む力をもっています。巻き込まれた観客はほとんど受け身で、ものを考えなくて済む。
自分としてはかなり前から、それとは違う方向でやろうとしてきたんです。
観客の創造力や思考する余地を残しておく。描き方としてはできるだけ淡々と客観的に描いたつもりです。
(アニメーション、折りにふれて)
音楽に関しても同様で、感情をあおらないように作られている。
まず最初に言われたのが「観客の感情を煽らない、状況にも付けない音楽を」ということでした。
普通の映画音楽は、登場人物が泣いていたら悲しい音楽、走っていたらテンポの速い音楽というように、状況につけて、観客の感情を煽ります。
でも「かぐや姫」ではそういうことはいっさいやめて、引くことが求められたのです。
特徴的な水墨画風の映像も、想像の余地を残すことが目的のようだ。
スケッチ画を見るときのように、何が描かれているのかを想像してほしい。
描いてない部分があるとか、ラフなスケッチのままだとか。完結していない未完の状態なんです。それが見る人に想像しようという気持ちを呼び覚ますんだと思うんです。
この映像にはとてつもない時間とお金がかかっているそうだ。芸術作品の作り方なのだという。
(製作費は50億円で、もののけ姫の2.5倍…!)
そのためアートとしての評判は高い。
高畑さんがやろうとしたことは、娯楽アニメーション映画の枠を完全に越えていたんです。芸術作品を作るのと同じやり方で作ったわけですから。
しかし前衛的すぎて感情移入はしにくい映像である。
この映画を単純に楽しんで観られないのは、ハラハラドキドキみたいなエンターテイメント性が欠落しているから。
でもそれは高畑監督の狙い通り。
面白さを知るためには深く考察しないといけないのである。
かぐや姫の物語の本当のスゴさを考察する
かぐや姫の物語がすごい理由を知るためには、隠された設定とメインテーマを理解する必要がある。
ここから、それらについて解説していく。
1. ストーリーと隠された設定を解説
日本最古の物語「竹取物語」には未完成の部分があるのだという。
高畑監督はそれを補完する作品を作ろうとした。
竹取物語には描かれていないウラがあって、それを解明すればほんとうの「物語」を物語れるのではないか、というのがこの企画なんです。
竹取物語の未完成な部分というのは、「かぐや姫が地球に来た理由」が描かれていないということ。
かぐや姫は何故地球へやってきたのか、何故月へ戻らなければならないのか、何故月に戻りたくないのか。
実は竹取物語って、読んでもよくわからないんですよね。
かぐや姫が月へ帰っていくときに、翁と別れるのがつらいと言ってはげしく泣くんですが、それまではそんな情がまったく感じられなかったので、いかにも唐突なんです。
これらを解決するために高畑監督が新たに付け加えた設定がある。
- かぐや姫の前にも地球へ行った月の民がいた
- かぐや姫はその月の民から地球の話しを聞き、憧れを持った
- 月では、地球は汚れているとされており憧れるのは罪
- かぐや姫は罰として地球に降ろされた
- 地球が嫌になれば罪は許され月に戻れる
これらは映画の中ではっきりとは語られていないので、初見で理解することは不可能だ。
しかしこれらの設定まで読み解けた人は「かぐや姫の物語」をすごいと絶賛しているのだと思う。
かぐや姫がわらべ歌を知っていたのは、昔地球に降りた月の民から教えてもらったから。
帝に後ろから抱きしめられた時に、かぐや姫は「ここにはいたくない」と願い、罪は許され月へ帰ることが決定した。
しかし幼少時の山での生活が楽しかったから、月には戻りたくはなかった。
というのが作品の裏にあるストーリーである。
特に原作にはない幼少期の場面は、この作品で大切になるところ。
山の風物を丹念に魅力的に描きたい。
かぐや姫が月に帰りたくないと嘆くのは、捨丸たちと過ごした山の生活が楽しかったからだという作品のポイントにも繋がっているからなんですよね。
2. ラストシーンの謎を解説
初見でよくわからなかったのが、最後月からの迎えがくるシーン。
妙に明るい雰囲気で映画は終わり、違和感を持った。
ここにも高畑監督のこだわりがあるそうだ。
明るい音楽や映像は、悩みも苦しみもない月の世界を反映しているとのこと。
お別れの場面ですから、普通に考えれば悲しい音楽を想定します。ところが高畑さんはそうは考えない。
「月の世界には悩みも苦しみもない。そういう天人たちの音楽はどんなものかと考えると、地球上にある音楽でいえばサンバになるんじゃないでしょうか。」
ここらへんに「かぐや姫の物語」のメインテーマが隠されている。
3. 隠されたメインテーマを解説
この映画のメインテーマは地球と月の対比。
「悲しみや苦しみがあるが楽しみがある世界(地球)」と「悩みも苦しみもないが楽しみのない世界(月)」。
どちらが幸福なのかという哲学的なテーマが設定されているという。
月は清浄無垢で悩みや苦しみがないかもしれないけど、豊かな色彩も満ちあふれる生命もない。
生老病死をまぬがれないこの世に対し、月は不老不死の国。それはすばらしい国かもしれない。けれどもひょっとすると、ただの死の国かもしれない。
(アニメーション、折りにふれて)
高畑監督は実はオプティミストで、「悩みがあったとしても、楽しみがある地球の方がいい」という考え方らしい。
「地球は否定したほうがいいのか、肯定したほうがいいのか」
「地球がいいと言ってるつもりです」
まとめ
ここまでの内容をすべて理解した上で、改めてこの映画をみると、また違った印象を受けるだろう。
徹底的に娯楽性を排してアニメ映画を作る。
そんな驚くべき試みを、興行収入が求められるはずの映画作品でやってしまったのである。
製作費:50億円、興行収入:25億円
(参考)千と千尋の製作費:20億円、興行収入300億円
面白くないけどスゴい作品。
そんな感想こそが、高畑監督が求めていたものなのかもしれない。
普通の会社でこんな映画を制作するのは困難だろう。
宮崎駿と鈴木敏夫が築いてきた地盤を食いつぶして作り上げた、高畑監督の生涯を締めくくるにふさわしい作品である。
つづく
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