名作と名高いマンガ版「風の谷のナウシカ」だが、自分は初見ではまったく理解できなかった。
マンガ版を理解するためには「政治劇の背景」と「ニーチェの哲学」を知る必要がある。
前回の記事「マンガ風の谷のナウシカがわからなかった人のための解説」では政治劇の背景について解説した。
今回はマンガ版ナウシカの中でも特に難しい7巻まわりの話を、ニーチェの哲学を元に解説する。
マンガ版のストーリーが複雑になった理由
最後の場面は特に難解で、ナウシカと墓所の主との問答はまったく意味がわからない。
わけがわからなくなって読むのをやめてしまう人も多いそうだ。
7巻まできて、わけがわからなくなって、ついていけなくなって読むのをやめちゃいましたっていう人が、けっこういるんですよ。
これだけ複雑化した理由は高畑勲監督にあったようだ。
映画版の完成後のインタビューで高畑は30点という低評価を下した。
「プロデューサーとしては、この映画に100点をつけてもいいということですね。」
高畑「ええ。ただ、宮さんの友人としての僕自身の評価は30点なんです。宮さんの実力からいえば30点。
この映画をきっかけに宮さんが新しい地点にすすむだろうという期待感からすれば30点ということなんです。」
(ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ)
高畑としてはもっと難解な映画を作ってほしかったが、無難にまとまったことに不満があったようだ。
これを聞いた宮崎駿は激怒し、マンガ版の連載を続けたという経緯がある。
そして超難解なマンガとしてナウシカが完成した。
もし映画版も高畑監督が望むようなものになっていた場合、マニアックすぎて評価されなかった可能性が高いと思うが…。
解説「風の谷のナウシカ」
終盤の難解さの要因の一つは、設定がひっくり返ってしまうことにある。
最初:腐海は世界を浄化するために自然発生した
↓
最後:腐海は人間が作った人工物
これまでは文明を否定して「人間は愚かだ」「王蟲や腐海を守れ」と言っていればよかったが、それらもすべて人工物だとなるとナウシカの主張に矛盾が生じてくる。
映画版『ナウシカ』では、「腐海が世界を浄化している」という話だったものを、漫画版では「腐海は人間が作ったものであり、汚れ(けがれ)を排除するプロジェクトだった」ということが判明し、しかもナウシカは「汚れがあるからこそ人間だ」「命とは、光と影の両方で命なんだ」と言い切る。
ここで価値観がひっくり返っちゃった。
ここから宮崎さんの作品は、自分が出したテーゼにアンチテーゼをぶつけるという”徹底した複雑化”が始まったんです。
その葛藤を描くというのが漫画版ナウシカのメインテーマとなる。
この「葛藤の克服」はニーチェの哲学「虚無主義(ニヒリズム)」に通じるところがあるそうだ。
これはいわゆる「虚無主義(ニヒリズム)」の問題そのものです。
ナウシカが「虚無」に悩まされるシーンが出現するのは、ナウシカが能動的ニヒリズムに目覚めるためのプロセスなのです。
ナウシカが虚無に悩まされるシーンが登場するのは、ニヒリズムをテーマにしているからである。
ニーチェの哲学とナウシカ
「神は死んだ」で有名なニーチェ。
彼は従来のキリスト教の価値観を完全否定した。
神はいないし、死後の世界も存在しない、いくら祈っても救いはない。
「この世のすべてのことは無価値で意味がない」という考え方がニヒリズムである。
ニヒリズムとは
この世のあらゆる事象はすべて無価値であると主張する哲学的な立場
ニヒリズムには2種類ある。
- 受動的ニヒリズム
- 能動的ニヒリズム
「どうせ何をやっても意味はない」と無価値であることに絶望するのが受動的ニヒリズム。
一方、無価値であることを積極的に受け入れた上で、前向きに生きていこうとするのが能動的ニヒリズム。
ニーチェは受動的ニヒリズムを克服し、能動的ニヒリズムを獲得することを推奨した。
「風の谷のナウシカ」はナウシカが受動的ニヒリズムから能動的ニヒリズムに至るまでの過程を描いた物語になっているのだという。
ナウシカと受動的ニヒリズム
土鬼皇帝ミラルパの使用した生物兵器によって、国土は汚染されてしまった(4巻)。
大海嘯による滅亡を防ぐため奮闘するナウシカだったが失敗。
ナウシカは戦争を繰り返す人間の愚かさに絶望し、王蟲と共に死のうとした(5巻)。
この過程は受動的ニヒリズム。
▼虚無に喰われてしまったナウシカ▼
ナウシカと能動的ニヒリズム
しかし復活したナウシカは最終的に葛藤を受け入れ、虚無を肯定する道を選んだ。
それまで愚かな人間を否定し続けていたナウシカだが、最後の場面で急に「汚れがあるから人間だ」と肯定するようになり混乱させられる。
これはナウシカが受動的ニヒリズムから能動的ニヒリズムに至ったことを表している。
愚かさや葛藤もすべて肯定する。
最後の場面、墓所の主はナウシカを批判して「虚無だ!!それは虚無だ お前は危険な闇だ 生命は光だ!!」と言います。
これに対してナウシカは反論します。「違う いのちは闇の中のまたたく光だ!!」「すべては闇から生まれ闇に帰る お前達も闇に帰るが良い!!」。ナウシカは、「虚無」を肯定するのです。
最初はナウシカの思想が変化した過程や理由がはっきりとわからないので理解できなかった。
しかしニーチェの哲学に沿って物語が進んでいるとわかれば意味はわかる。
「風の谷のナウシカ」の本当のテーマは環境問題ではなく、哲学だということだ。
墓所の主のように論理主義的な考え方によって初めて人間の価値が見いだされるような生き方を拒否し、「自分の生そのものを肯定する」「自分の中の葛藤もそのまま受け入れていく」能動的ニヒリスト、ニーチェの言う「超人」としての道を選んだわけです。
まとめ
これは普通に読んでいても理解できないだろう。初見で意味が分からなかったのも無理はない。
マンガ版「風の谷のナウシカ」を絶賛する人たちは、果たしてここまで理解できているのだろうか。
・・と偉そうなことを書いてみたが、この他にも色々な解釈があるようで単純に理解はできない深い作品だということが分かる。
エヴァンゲリオンの庵野秀明監督は7巻を高く評価していて、映画化を熱望していたらしい。
難解だが何度も読み返す価値はあると思う。
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