クリスマスが近い。
しかし特に予定もなく、家でTwitter見ながらダラダラ過ごすつもりである。
ところで最近「若者殺しの時代」という本を読んでいると、クリスマスについて書かれた部分があった。
クリスマスと言えばカップルのイベントというイメージだが、その歴史は案外浅いのだという。
今回はクリスマスに踊らされてるんじゃねえよという話と、アタリマエを見直すことの大切さについて。
若者殺しの時代
自分が物心ついたときは、すでにクリスマスはカップルのイベントだった気がする。
1980年代に入る前はクリスマスは子供のものだったようだ。クリスマスよりお正月の方が大切。
ところが1980年代以降、若者にモノを売りつけるために「クリスマスは恋人たちのものだ」というテーゼが広められた。
1960年代はクリスマスは圧倒的に子供のものだった。クリスマスは子供のものだろう。大事なのはお正月だ。
「クリスマスを、若者に売れば、もうかる」とおとなたちが気づいたのは80年代に入ってからである。
また恋愛ドラマも1980年代後半から作られはじめたのだという。
それまでは家庭が舞台のホームドラマが中心だった。
以前のドラマは家庭が舞台だった。ホームドラマだ。
1988年。ドラマの舞台が家庭からトレンディスポットに移った。ドラマの中心に恋愛が据えられた。
仕事より、生活より、家族関係より、恋愛を優先して生きていく。恋愛の成り行きに人生が左右される。
自分たちが当たり前に受け入れている「人生の中心に恋愛が据えられる価値観」は意外にも歴史が浅いということがわかる。
高度経済成長期に、ビジネスの対象として搾取すべく「若者」という分野が作り出された。
クリスマスも恋愛ドラマも、消費欲を煽るために生み出されたものである。
クリスマスは1983年を境に日本の高度資本主義経済の中に取り込まれ、時期を同じくして収奪対象としての「若者」が作り出された。
若者という分野が作り出され、欲望を刺激し、商品を並べ、金を巻き上げていくシステムが動き出しただけだった。
常識だと思っていることは実はマスメディアによる刷り込みで、誰かが得をするために作り出されたシステムかもしれない。
世の中のアタリマエを見直してみることは大切である。
みんなクリスマスに踊らされてるんじゃねえよ。
ひがんでるわけじゃないよ・・。
日本再興戦略
この話はクリスマスだけにとどまらない。
落合陽一氏の著書「日本再興戦略」によると、日本の教育やライフプランも国にとって都合よく作り出されたものなのだという。
日本は国策によって急激に近代化を果たした国です。
高度経済成長の正体とは、「均一な教育」「住宅ローン」「マスメディアによる消費者購買行動」の3点セットだと僕は考えています。
国民に均一な教育を与え、住宅ローンで家計の自由を奪い、マスメディアによる世論操作で新しい需要を喚起する。
これによって戦後日本は経済成長を遂げることができた。
日本の教育は使いやすい労働者を育てるためのもの。
我々の教育は人に言われたことをやるのに特化しています。
これは大量生産型の工業社会には向いていました。何も言わなくても足並みがそろうからです。
教育制度が問題視されることも多いが、実は大成功しているといえる。
やれと言われれば一生懸命取り組む従順性、入試のために割り切って努力できる合理性は、使いやすい労働者に求められる資質である。
多くの人が労働者になって真面目に目の前の仕事をこなし続ける。
そして何の疑問も持たずマイホームを持ち、画一的に消費を行うことで経済が成長したということだ。
昭和の時代においては、マスメディアが画一的な需要をつくりだすという戦略は正しかった。
しかし令和の時代になり、その制度は大幅な転換が必要になっている。
ところが我々は過去に刷り込まれた価値観を、いまだに変えることができていない。
マスメディアによる価値観の統一やトレンディードラマによる人生のサンプルの流布のせいで、日本人が目指す人生像がとても画一的な凝り固まったものになってしまいました。
日本人はマスメディアによって植え付けられた「普通」という概念にとらわれすぎです。
医は仁術論
この話は医者についても当てはまる。
使いやすい労働者を育成するための日本の教育。
医学部に入るということは、そんな教育のレール上での競争に勝ち抜いてきたということである。
つまり医者は使いやすい従順な労働者として最適化されているとも言えるだろう。
医は仁術なり。
当たり前に受け入れられているこの言葉も刷り込かもしれない。
これを利用して医者を搾取しようとする意図も存在しているのだという。
高齢化が進み国民皆保険は破綻寸前である。
それをギリギリで支えているのは、医者のサービス残業と無休医という労働力。
国民の健康を維持するのが皆保険制度の建前。だけど国民を皆一様に健康にする予算はもうない。
とりあえず当面は医者に働いてもらおう、なるべく金をかけないで。サービス残業をバンバンやってもらおうというものに変わっていった。
日本の医療は、「医は仁術」と信じる(信じさせられている)医者によってかろうじて成り立っている。
「医は仁術」像は国にとって都合が良い。この医師像は予算を消費せずサービスを維持提供するものだ。
予算という具体的なエネルギーを精神論で捻出してくれる素敵な思想だ。否定する理由はどこにもない。
しかしこれ以上は個人の頑張りで支えることは不可能だろう。
真面目に働いていれば金も名誉もやりがいも得られ医者が報われた時代は、おそらくもう終わってしまっている。
「医は仁術」というアタリマエも、見直さなければならないのかもしれない。
我々はライフプランを十分に練りなおさなければならない。
医師免許をいかにマネタイズするか・・。
しかしこういった意見に対して世間は眉をひそめる。
「医は仁術」の価値観は世間一般にも広がっている。
目の前の患者のために全身全霊を捧げるのが医者の使命だろう、と。
金と時間が欲しい、と言うと世間は眉をひそめる。「医は仁術」とか患者が言う始末だ。
ちょっと考えて欲しい、皆保険制度で頑張っているのは日本だけだ。
医療は金で買わなければならない。これが世界の常識だ。
そうありたいものである。
しかしTwitterなどを見ていると、若い人たちはすでに沈みかけの船から離脱しつつあるようだ。
我々も、気づいたときには手遅れだった、とならないように・・。
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