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バチェロレッテと三島由紀夫の「不道徳教育講座」

 

先日バチェロレッテ・ジャパンを視聴した。

バチェロレッテ・ジャパンとは、アマゾンプライムビデオで配信されているバチェラー・ジャパンの男女逆転版である。

バチェラーはハイスペックの独身男性を、25名の独身女性たちが奪い合う婚活サバイバル番組。

一方バチェロレッテは、ハイスペック独身女性福田萌子さんを独身男性が奪い合う。

 

福田萌子さんはいわゆる「強い女性」で、女性視聴者から絶大な人気を誇るようだ。

さらに男たちに厳しい質問をあびせて、次々と斬り伏せていく様子は、フェミニストたちの溜飲も下げるであろう。

バチェロレッテの感想

 

番組の内容については色々な人が考察していて、それを読むのもなかなか面白い。

一番の話題は結末のようだが、自分が注目したのは別の点である。

 

彼女はしきりに「本当のあなたを見せて」と話し、男性に自分をさらけ出すことを求める。

これを見ていて、ある本を思い出した。

三島由紀夫の「不道徳教育講座」である。

 

今回はこの本の内容を紹介する。

 

不道徳教育講座

 

「不道徳教育講座」は三島由紀夫のエッセイ集。

週刊誌に連載されたエッセイなので、ユーモアあふれる内容になっている。

お硬い文学者というイメージの三島だが、こんなにユーモアセンスがある人だったのかと驚かされる(ブラックユーモアだが)。

とても読みやすいが、ユーモアの中に優れた人間観察力が垣間見られる名著である。

この本の中で三島は「告白するなかれ」と説いている。

 

彼によると「自分の真実の姿を告白して、真実の姿をみとめてもらい、愛してもらおう」という考え方は人生をなめているのだという。

自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。

 

我々は、ときに他人から過大評価を受けてしまうことがある。

でもそれはどこか居心地が悪い。

そこでなんとかして誤解を解き、本当の弱い自分を知ってもらいたくなる。

 

しかしそんな告白はしてはならないと三島由紀夫は説く。

人に弱みをさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく無礼者と呼びます。

 

その理由は、どんな人間でも真実の姿は不気味で、愛することなんてできないものだからである。

どんな人間でも、その真実の姿などというものは不気味で、愛することの決してできないものだからである。

 

さらに告白された側は、不気味なものを見せられたあげく、自分の観察眼に対するプライドも傷つけられてしまう。

告白はいいこと無しなのである。

余計な告白のおかげで、こちらのもっていた好印象を壊されたばかりか、だまされていたということを知らされて、自分の観察眼にかけていた自尊心を傷つけられる。

 

「なんて魅力のある女だろう」

「あの人本当に好感がもてるわ」

などと言いながら、そこかしこで、友情が生まれ、恋愛が発生する。

間違ったイメージだったとしてもそれで十分なのではないか、と三島由紀夫は言うわけである。

 

なかなか含蓄のある言葉だと思う。

バチェロレッテのように本当の自分をさらけだしてぶつけ合おうなんて愚の骨頂だ・・と三島は言うのではないだろうか。

 

まとめ

 

哲学者ニーチェは、「裸体は慎むべきだ」と語ったのだという。

裸体は慎むべきものだ!君らが神々であってはじめて、君らは君らの衣服を恥じてよかろう!

 

衣服とは他人から誤解された偽りの姿。

しかし我々は神様じゃないのだから、自分の衣服を恥じる資格なんてない。

ちゃんと服を着ていなければならないのである。

 

我々はときに過大評価され、居心地の悪い思いをすることがある。

しかし勘違いはしたまま、させたままでいい。

間違っても自分で服を脱いだり、他人に脱ぐことを求めてはいけない。

バチェロレッテを見て、そんな教訓を思い出した。

 

次回は不道徳教育講座の内容からインフルエンサーについて考えてみたい。

つづく

インフルエンサーと三島由紀夫の「不道徳教育講座」
前回の記事「バチェロレッテと三島由紀夫の不道徳教育講座」では、自分をさらけだすことの是非について書いた。 今回はインフルエンサーについて考えてみたい。 ホリエモンやキンコン西野、イケハヤなど、インフルエンサーと呼...

 

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