学生のときに成績優秀だった勉強好きの人は、キャリアからドロップアウトしてしまうことが多いそうだ。
労働者のパフォーマンスは「能力値」×「目標に向かって我慢できる値」で決まる
勉強は「努力-報酬均衡モデル」で、頑張れば頑張った分だけ報われるフェアなゲームである。
しかし病院で働くことは「努力-不均衡モデル」であり、いわば理不尽の連続。
勉強好きで頑張ってきた人がゲームの変化に対応できず、ドロップアウトしてしまうのもムリはない。
自分が医学部6年間で学んだのは「医学知識」と「ヒューマニズム」だったように思う。
しかし実際の現場に出てみると、これら2つの武器はほとんど役に立たなかった。
そこで打ちのめされた私はドロップアウトしかけたものの、なんとか意識低い系医師として生き延びることができた。
そんな自分の経験をこれまで記事にしてきた。
今回はこれから研修医になる人に向けて過去の記事をまとめてみた。
1.医学知識は役に立たない
たくさんの医学知識を携えて始まった研修医生活。
しかしそこで直面したのは非情な現実だった。
点滴のオーダー法すらもわからない状態で投げ出された内科の病棟。
そこでは医学知識なんてまったく役に立たず、必要とされていなかった。
医学の知識が役に立つのは病棟業務が落ち着いてこなせるようになった3年目以後のこと。
研修医にとって最も大切なのは「指導医に気に入られるスキル」である。
そしてそれは研修医時代に限ったことではない。
詳細はこちら>>医者に必要なのはジジ殺しのスキルである
2.丁寧な診察なんてやってられない
学生時代は丁寧な診察やアセスメントが大切だと教えられる。
またカンファランスや回診でのプレゼンテーションも重視されていて、しっかりと指導される。
ところが実際の現場では、状況は異なっていた。
待っていたのは大量の受け持ち患者。真面目にやってたら仕事が終わるのは深夜2時。
丁寧な診察もアセスメントもすべて捨ててしまって、限界まで仕事を効率化しないと体がもたないと悟った。
本当に必要なのは、限られた自分のリソースをどこに投入すればいいかを理解することだった。
詳細はこちら>>若手医師のブラック労働の功と罪
3.病気を治す仕事ではない
自分がそれまでイメージしていた医療と、実際の現場はかなり異なっていた。
高齢化の進む地方では、救急搬送されてくる患者の多くが発熱した寝たきり高齢者である。そして病棟はそんな患者で埋め尽くされている。
今、「意思表示のできない寝たきり高齢者にどれだけの医療資源を投入するのか」ということが問題になってきている。
患者の死に向き合うのは緩和ケアという限られた分野の仕事ではない。
「病気を治すこと」とか「患者を助ける」ことが医者の仕事だと思って勉強してきたが、そんなものは甘っちょろい幻想にすぎなかったのだ。
医師の仕事は「人を助ける」ことではなく「人を死なせる」ことに変わりつつある。
詳細はこちら>>治す医療が死なせる医療へ変わる !?
4.何でも診られるの罠
かつて総合診療とかプライマリケアとか「何でも診られる」ということに憧れていた時代があった。
総合診療というと「診断のつかない難しい患者を様々な知識と多彩な検査で診断」するというイメージ。
しかし実際の現場を経験すると、現実は若干異なっていることに気づいた。
厚労省の養成したい「総合診療医」とは、行き場のない高齢者をなんでも引き受けられる医師のことだった。
詳細はこちら>>総合診療科について皮膚科医が思うこと
5.ベストをつくしても感謝されない
医師の仕事は病気を早期に見抜き、診断し、治療につなげること。
そして真面目に仕事をすれば、患者のためになり、感謝もされるだろう。そんなふうに単純に考えていた。
しかし現場では、そんな医療の枠組み自体から外れた患者がいる。
それが不定愁訴である。
彼らに対してどれだけ一生懸命「正しい」医療を行っても、感謝されないし納得してもらえない。
医者としてのベストを尽くしても、その熱意や誠実さに見合った成果が得られない。現場ではそんな状況が数多く発生することを知っておく必要がある。
詳細はこちら>>不定愁訴をみるために必要なこと
6.治療が受け入れてもらえない
大学では「患者様の立場に立った」「わかりやすく懇切丁寧な説明」が大事であると教えられる。
医者はヒューマニズムに溢れた人間である必要があるのだ、と。
しかしどれだけ患者様の立場に立って懇切丁寧に説明しても受け入れられてもらえないことがある。
そんなとき「患者のためを思って言っているのに!」とやるせない気持ちになるだろう。
これは一見患者思いな態度に見えるが、実質は違う場合が多いという。
そこには他人を思い通りに操作して満足感を得たいという願望が隠されている。
あくまでも一定の距離間を持って患者と接するのが、正しい医療者の姿勢である。
詳細はこちら>>言うことを聞いてくれない患者から学んだこと
7.優しさも善意も信じられない
医療者にとって大切なのは「優しさ」や「善意」。そう信じていた頃もあった。
しかし診療を行っていると理不尽なクレームに遭遇することも多い。
いきなり喧嘩腰。何を言ってもキレる。診察後はしっかり病院にクレーム。
現場は「優しさ」や「善意」でやっていけるほど甘くない。
もし人に感謝されることが仕事のモチベーションだと考えてきたのなら、それは簡単に壊されてしまうだろう。
詳細はこちら>>「負けるが勝ち」精神科医より学ぶクレーマーの対応法
8.いい人ではいられない
他人から「いい人」だと思われたい。自分にもそんな願望がある。
しかし患者に感謝されたいだけならば、医者の仕事はやってられないだろう。
患者から「いい人」だと思われるためには、彼らからの要望に何でも応える必要がある。
ところが現実的には要望をつっぱねなければならない事も多いのである。
明らかに入院が必要ない高齢患者や、その家族が入院を希望してくる場面は多い。
いざ入院させてみると、せん妄を起こしADLが低下。あっという間に寝たきりに近い状態になってしまう。
あんなに元気だったのに…と家族からの不信感が募る。
現実的には、入院してキレイに治って元気になって退院、ということは少ないのである。
詳細はこちら>>入院における作戦目的の二重性
9.医は仁術なりの裏側
自分たちが常識だと思っていることが実はマスメディアによる刷り込みで、誰かが得をするために作り出されたシステムかもしれない。
例えば1970年代、クリスマスは子供のイベントだった。
ところが1980年代以降、若者にモノを売りつけるために「クリスマスは恋人たちのものだ」というテーゼが広められたのである。
この話は医者についても当てはまる。
「医は仁術なり」
当たり前に受け入れられているこの言葉も刷り込かもしれない。
高齢化が進み国民皆保険は破綻寸前である。それをギリギリで支えているのは、医者のサービス残業と無休医という労働力。
日本の医療は、「医は仁術」と信じる(信じさせられている)医者によってかろうじて成り立っているのである。
詳細はこちら>>クリスマスと日本の教育と医者のキャリア
10.医者はお金持ちではない
仕事を始めると、お金に困ることはまずないだろう。
誰でも医師免許取得後6年目くらい(30歳前後)に1000万強の給与となり、派手にお金を使う人も多い。
しかし医者の給与体系にはトラップがある。
給料は10年くらいまでは上がっていくが、そこで頭打ちになる。さらに転勤を繰り返す勤務形態なので退職金も期待できない。
医師の生涯年収はサラリーマンの約1.5倍程度で、多くを前半に貰うだけなのである。
しかし給与がずっと上がり続ける気になって金銭感覚が麻痺し、計画性なく消費や投資にお金をまわしてしまう人が多くいる。
特殊な給与体系の医者にこそ、お金の知識(マネーリテラシー)が必要である。
詳細はこちら>>医師にもお金の知識が大事だと思う理由
まとめ
今回は過去の記事をまとめてみた。
このブログの厭世的な世界観が十分に発揮された記事たちである。
医療者にとってのハードな日々は、知識や使命感や思いやり、人情や熱血だけでは支えていけない。
精神科医の春日武彦先生によると、必要なのは「わかりやすい達成感はむしろ退屈に思えてしまう」くらいのシニカルなのだという。
詳細はこちら>>治療法がない病気をどうみるか
自分もシニカルさを武器になんとかやってこれた気がする。
しかし最初の洗礼を乗り越えたとしても、第2、第3の矢が放たれてくる。
そのへんの話はまた別の機会に。
▼記事のまとめ▼
10.医者はお金持ちではない
コメント